窮屈とSNSとオレ

イーロン・マスクTwitterを買収して、9人の取締役を全員解任したことが話題になっている。アメリカ的な株式会社の特徴が出ているね。

Twitterを買収して、非上場化したのはTwitter社を改革するためで、全員の取締役の解任は当然の選択か。

唯一の取締役になるということは、資金調達や規制対応などの責任は取締役会ではなく、彼1人が追うことになるわけだから、イーロン・マスクSNS改革の覚悟が伝わる。Twitterが今後どう変化していくのか楽しみ。

ていうか何社CEOやるねん。テスラ、スペースX、ニューラリンク、ボーリングカンパニーに続いてTwitterで5社目やぞ。

 

 

TwitterといえばSNSで、僕は最近のSNSはあまり好きじゃない。

楽しいキラキラした日常アピールか、リプライや引用機能を使った批判や攻撃のためのツールとして二極化している気がするから。

他人を攻撃するためにSNSを使う人は、かわいそうな人たちだから、それについては今は述べない。

多くの人は楽しい日常の共有のためにSNSを使う一方で、SNSで愚痴を投稿することは許されなくなっているらしい。「愚痴る人はフォローを外す」みたいな感じで。

 

確かに、「不満とかイライラ」の投稿より、「楽しい」っていう投稿の方が見ていて気持ちがいい。でもだからって、SNSに愚痴はあってはいけないのだろうか。

愚痴の投稿が減っているのも、「SNSにはネガティブなことは書かない。SNSは楽しい場であるべきだし、見た人の気を悪くさせるから」っていう、フォロワーへの配慮というか、思いやりみたいなのがあるからなんだろうけど。

 

でも、SNSってそんなに格調高いツールやっけ。

今のSNSはなんか窮屈な場所やなって思う。

昔はもっと気楽で適当に使えるツールだったような気がするんよね。

当たり前だけど、ネットリテラシーには気を配る必要があるし、SNSには誰かに見られて困るものは上げてはいけないよ。

 

でもSNSぐらいになら愚痴れる場があってもいいと思うんですよ。

そりゃ、愚痴はない方がいいですよ。

でもみんなさ、頑張ってるじゃん。行きたくもない仕事に行ったりさ、合わない人とでも上手く関わったりさ、思ったことを簡単に口に出せない世の中で頑張ってるじゃん。

だから、SNSで思ったことを言って、ちょっとくらい発散したっていいじゃん。

リアルな世界でも、画面の中の世界でも、どこにも自分の気持ちを表現する場所がないと辛いですよ。

 

もちろん、愚痴の相手が見れる場所で当てつけのように投稿するのはダメだし、愚痴の量とか書き方も程度問題ですから。

 

たまには、落ち込んでる気持ちや仕事の愚痴を吐き出すとかは、許容されてもいいでしょ。みんなが互いに自分自身を表現できるような場になるといいなぁと思う。

 

イーロン・マスクTwitterを「あらゆる人が自由に発言できる安全な場」、「可能な限りインクルーシブな場」にするらしいので期待ですね。

まぁ、僕はほとんどSNSをやってないんですけど。