アルカと断捨離とオレ

ハローハロー

僕から世界へ

応答願います

ぼくらのコードは正しくつながっていますか

僕らの世界は正しく回転している模様

システムオールグリーン

コミュニケーションは不全

 

ハローハロー

ぼくからあたらしい世界へ

ほくは君と出会えてうれしい

僕らのコードは正しくつながりそうですか

ぼくの世界は正しく回転していますか

システムオールレッド

コミュニケーションは良好

 

深夜になぜか頭の中で流れてきたポエム

今日は大学院のOB二人と忘年会

酔っ払ったおじさんは何度も同じ話を繰り返す

繰り返すおじさん話

繰り返す下ネタ

でも誘ってくれてサンキューシュー

奢ってくれてサンキューケンツ

かなり疲れたぜ

しんどいけれどこういう繋がりは大切にするぜ

 

来年は変化の年

嫌でもコンフォートゾーンから抜け出さねば

そしていつの間にかコンフォートゾーンへ

古いものは断捨離

人間関係も断捨離

気がつけば20代後半も半ば

いろんな違いが出てくるのが大人になるということ

それは単純な上下ではなく

学生時代とは違ってそれぞれの人生が動き出す

生き方、働き方、人間関係対する考え方、家族との関係性、居住地

自分の境遇は異端、だから感じる違和感

なんとなく働いている人間と話してもつまんねぇ

でも否定するつもりはねぇ

 

来年新しく会う人たちとの出会いを大切にするぜ

今ある関係性も大切にしたいけど、キャパオーバー

向こうからは一切連絡なく、こっちから連絡しなければ繋がらない関係性はもういらねぇ

連絡しても無視するやつにはもう連絡しねぇ

それでもごく稀にくれる連絡ウェルカム

そのつながり大切にするぜ

友達との距離感すげーむずい

 

このまえ前職時代の友達と会ったけど、環境が変われば全く話合わねぇ

所詮同じ職場というつながりがあっての関係性だったのだと実感

だからこそ感じる学生時代の友達の重要性

環境が変わっても関われる関係性は重要

でも友達との距離感すげーむずい

 

そんなことよりも今は修論執筆しなければ

現在深夜3時

日付変わっているけど、明日は昼論文執筆、夜忘年会

明後日は大掃除と論文執筆

晦日は遊び呆ける

正月は飲んだくれる

その後は論文執筆

1月9日の自分は生きていますか

それから掴んだチャンスを取りに行くぜ

敦也に言われた勝ち取ったもの

好き勝手に生きるぞ

お前らも自分が思うように好き勝手やれよ

お前の人生やぞ、お前が主人公やろ

 

ハローハロー自分の人生を生きていますか

応答願います

時の扉を超えて①

ユウキは街のざわめきが耳に心地よいざわめきを運んでくる中、28歳の誕生日を迎えていた。しかし、その胸には周囲の明るさとは裏腹に、未来への不安がじわりと湧き上がっていた。友人たちが新たなステージに進んでいる姿を目にするたび、彼の中に選択の難しさを痛感させるものが生まれていた。漠然とした焦りが、心を締めつけるような感覚をもたらしていた。

カフェの窓際に座り、友人たちの会話が絡む中、ユウキは内なる葛藤に苛まれていた。エミコがワクワクしながら新しい仕事の話をする横で、彼は自分の中に湧き上がる葛藤と向き合っていた。友人たちの変化が、自分の将来についての思考を引き起こすようになっていた。正しい道なんて何だろう? 後悔しないために、どの選択をすべきだろう? そうした疑問が、日々彼の心をかき乱していた。

「ユウキ、どうしたの? 誕生日だから笑顔が似合うんじゃない?」エミコの言葉に微笑みながらも、ユウキは彼女が気付かない内に葛藤が渦巻いていることに気付いていた。周囲の人々が前進し続ける中で、ユウキは進むべき方向を見失っていた。他人の成功や幸福を見れば、もし自分の選択が異なっていたらどうだろうと考えることが頻繁にあった。それが彼の自己評価を不安定にしていた。

夕日が街を包み込む中、ユウキは散歩に出ることを決意した。歩くうちに、古びた時計店の看板が目に飛び込んできた。その美しさに心を奪われるように、足が店に向かうように動いていた。ガラス越しには、年月を重ねた優美な時計たちが並び、店主の温かな笑顔が店内から伝わってきた。ユウキは、どうしてかその店に引かれるように、一歩足を踏み入れる決意をした。

変化への一歩

序章: 窮屈な日常

第1章: 迷いと勇気

第2章: 新たな視点

第3章: 葛藤と友情

第4章: 新たな挑戦

第5章: 自信と成長

第6章: 成果と継続の努力

第7章: 新たなスタート

最終章: 新たな未来へ

 

横山直人(よこやま なおと)

年齢: 28歳

性格: 内向的で繊細な性格。単調な仕事に対する不満を抱えており、自分の可能性を見出せずにいる。迷いや葛藤を抱えつつも、勇気を持ち直そうと努力している。

 

岡田真理子(おかだ まりこ)

年齢: 27歳

性格: 楽観的で明るい性格。横山直人の同僚であり、彼の心の支えとなる存在。彼女自身も転職を考えているが、前向きな姿勢を保ちながら日々を過ごしている。


田中光太(たなか こうた)

年齢: 37歳

性格: 穏やかで冷静な性格。横山直人の上司であり、彼にアドバイスや指導をする。自身も過去に転職経験があり、横山に視点を提供する。

 

 

序章: 窮屈な日常

暑い夏の日、小さな工場の中で横山直人はモノトーンな日常に絶え間ない焦燥を感じていた。巨大な機械の轟音が響き、鉄や部品の匂いが漂う中で、彼は繰り返す作業に従事していた。日が経つにつれて、それは苦痛へと変わり、心を押し潰すような感覚となっていた。

彼は大学を卒業してからの人生が、ただの連続した無駄な日々であるように感じていた。大学を2浪1留を経てようやく卒業。しかし、その後も就職先が見つからず、1年間の就職浪人を経て、とうとう工場の作業員として入社してしまった。

「こんな単調な仕事で満足していいはずがない」と、彼は心の中で呟いた。誰でもできる仕事に従事していることが、自己評価を下げ、劣等感を募らせているのだ。毎日同じことの繰り返しにうんざりし、未来に希望を見いだせなくなっていた。

そして、その焦燥と共に、次に進む勇気が出ない。変化を望む一方で、未知の世界へ踏み出すことの不安が彼を囚われていた。新たな一歩を踏み出すためには、まずは自分の心と向き合い、その葛藤を乗り越える勇気が必要だった。

「何かを変えなければならない。でも、どのような行動を起こせば良いのかわからない…」

 

第1章: 迷いと勇気

直人は、鉄道の中で窓の外を眺めながら、日々の退屈な仕事と自分の将来について考えていた。同じ風景が繰り返される中で、彼は自分の内面に向き合わざるを得なくなっていた。

「もう限界だ…」と、彼はつぶやいた。しかし、一歩踏み出す勇気に欠けていた。転職を考えることは一つだが、次の一歩を踏み出すことは別の話だった。

会社に到着し、モノトーンな工場の中に足を踏み入れると、同僚たちが忙しく作業をしていた。岡田真理子という女性の笑顔が一際目立ち、それが横山の目に留まった。彼女は同じような環境でも前向きさを失わず、いつも明るい態度で仕事をこなしていた。

「おはよう、横山くん。今日も頑張りましょう!」真理子が声をかけてきた。

「おはよう…」直人は微かに笑顔を返すが、内心では真理子のようにポジティブに振る舞うことができない自分を嘆いていた。

昼休み、直人は喫茶店で一人静かに食事をしていた。その隣には、転職の求人誌が置かれている。何度も目を通しているが、踏み出す勇気が出ない。

「いつまでこのままだろう…」と、彼は自問自答するが、その問いにはまだ答えが見つからなかった。周りの人々が、どのようにして変化を迎えているのか、彼にはまだ見当もつかなかった。

次第に、彼の中で迷いが大きく膨らんでいく。しかし、少しずつでも動き出さなければ、何も変わることはないことを理解していた。

 

第2章: 新たな視点

新しい週が始まり、直人はいつものように工場へ向かっていた。しかし、今週は何かが違う気がした。彼は何も変わらずにいることに対する違和感が、ますます強くなっていた。

仕事が始まり、彼は田中光太という上司から、少し違った視点で物事を見ることの大切さについて話を聞いた。光太は、自分が若い頃に転職を経験し、新たな環境で成長することができたことを語った。

「いいか横山。何かを変えることは難しいかもしれない。でも、自分自身の可能性を信じて、新しい一歩を踏み出すことが大切なんだよ。」光太は優しく微笑みながら言った。

その言葉が、直人の心に響いた。彼は初めて、自分が今の状況から抜け出すためには、自分自身を変えることが必要だと気付いた。そのためには、新たな視点を得ることが重要なのだと理解した。

次の日、直人は喫茶店で転職の求人誌を手に取り、真剣に眺めた。新しい挑戦に向けて行動するための第一歩だった。しかし、まだ心の中では不安が渦巻いていた。

その後、直人は岡田真理子との会話で、彼女の前向きな姿勢に触発される。真理子は夢を追いかける姿勢を貫き、いつもポジティブな考え方をしていた。

「変わることは怖いし難しいけれど、それが人生の一部だと思うんだ。」真理子は笑顔で語った。

直人は彼女の言葉に救われたような気がした。同じ環境でも、向き合い方や考え方が違えば、違う結果を生むのだと感じた。

この新たな視点が、直人の内なる迷いを解き放つ鍵となるのだろうか。次の一歩に進む決意が固まりつつある中、彼の未来への道は広がりつつある。

 

第3章: 葛藤と友情

工場での日々が変わり始めていた。直人は、新たな視点を手に入れることで、少しずつ自分の中に変化が生まれていることに気付いていた。しかし、未だに心の中には迷いが残っていた。

ある日、昼休みに岡田真理子が直人の席に寄ってきた。彼女はいつものように明るい笑顔を見せながら、直人に話しかけてきた。

「横山くん、最近どうしてる?」真理子は軽く尋ねた。

「うーん、まあ、なんとなくかな。」直人は肩をすくめて答えた。

「でも、ちょっと前と違うような気がしない?」真理子は微笑んで言った。

直人は少しだけ照れくさそうに笑った。彼女に気付かれるなんて、自分の変化が見られているのかと驚きつつも、同時に嬉しさを感じていた。

「ねえ、横山くん。私も転職を考えてるんだ。でも、どこか怖いし、未知の世界って不安だよね。」真理子がつぶやくように言った。

直人は彼女の言葉に共感し、同時に彼女の前向きな姿勢に敬意を抱いた。彼女は夢に向かって進むために、怖さを乗り越えようとしている。その姿勢が、直人にも勇気を与えていた。

「確かに…」直人は深く頷いた。「でも、君みたいに前向きに考えて、踏み出す勇気を持ちたいんだ。」

この出会いが、彼の葛藤と向き合う助けとなるのだろうか。友情と共に成長していく直人の姿が、物語の中で描かれる予感が漂っていた。

 

第4章: 新たな挑戦

直人は、真理子との会話を通じて自分の心に変化を感じていた。彼の中で徐々に、新しい道に進むことへの勇気が湧いてきていた。

ある日、帰宅途中の電車の中で、直人は再び求人誌を手に取った。これまで何度も眺めては葛藤していたが、今回は違う。自分の中で変わり始めているのを感じていたからだ。

「いつまでも同じ日々を過ごしていても、何も変わらない。自分を変えるために、行動しなければ。」直人は心の中で決意した。

そして、その週末、彼は初めて転職の面接に申し込んだ。求人情報を選び、履歴書を書き、自分の強みややりたいことを整理していく過程が、新しい挑戦への一歩だった。

面接当日、緊張しながらも自分をアピールすることに集中した。初めての経験であるため、不安は拭えなかったが、同時に新たな可能性への期待も胸に膨らんでいた。

数日後、結果が届いた。直人は選ばれたという連絡を受け、喜びと同時に不安が入り混じる気持ちになった。新たな環境でのスタートが迫っていた。

その後、直人は同僚たちに転職の決意を伝えると、驚きと応援の声が彼を包み込んだ。彼らのサポートが、彼の背中を押してくれた。

新しい職場での初日、直人は緊張しながらも前向きな気持ちで臨んだ。初めての環境に馴染み、新しい仲間との出会いが彼を待っていることに胸を躍らせながら。

 

第5章: 自信と成長

新しい職場での初日、直人は緊張しながらも期待に胸を膨らませていた。彼は新しい環境に慣れることに集中し、自分の強みを活かす方法を模索していた。

最初の数週間は、新しい仕事のやり方や人間関係の構築に苦労した。しかし、充実感と共に成長を感じることもあり、新たな環境での適応が進んでいった。

同僚たちとの交流も深まり、彼は新たな仲間たちとの共通点を見つけることで、自分を表現する機会を持っていた。次第に、彼の自信も徐々に取り戻されていった。

ある日、上司から新しいプロジェクトのリーダーに任命されることが告げられた。初めてのリーダーとしての役割に対しては不安もあったが、同時に新たなチャレンジを受け入れることを決意した。

プロジェクトを進める中で、直人は自分のアイデアを発信し、チームと共に問題解決に取り組んでいった。成果を上げるたびに、彼の自信は更に強化されていった。

そして、プロジェクトの成功を迎える頃、直人は自分自身の成長を感じていた。新たな環境での挑戦が、彼にとって大きな一歩となったことを実感していた。

 

第6章: 成果と継続の努力

直人は、新しいプロジェクトの成功を手にした後も、自分自身の成長を維持するために努力していた。彼は新たな環境での適応を成功させただけでなく、新しい役割での成果も挙げることで、自分の可能性を証明し続けた。

同時に、彼は同僚たちとの連携やコミュニケーションの重要性を学んでいた。自分だけでなく、周囲のメンバーと協力し合うことで、より大きな成果を上げることができることを実感していた。

ある日、新しいアイデアを提案する場面で、直人は自信を持ってプレゼンテーションを行った。彼の熱意と努力が仲間たちに伝わり、アイデアは採用された。その瞬間、彼は自分の成果を感じ、同時にチームの一員として認められたことを嬉しく思った。

しかし、成功が続いても、彼は継続的な努力が必要であることを理解していた。新しいスキルや知識の獲得、自己啓発への取り組みが、彼の成長を継続させるために欠かせないと感じていた。

工場での過去の日々とは違い、彼は今では自分の進化を実感しながら、未来に向かって進むことができていた。これからも変化と挑戦を恐れずに、自分の可能性を広げ続ける覚悟を持っていた。

 

第7章: 新たなる一歩

直人は、新しい職場での挑戦と成果を重ねる中で、自己成長と変化の過程を深く感じていた。彼は前向きな姿勢と努力を通じて、自分の可能性を広げていたことを実感していた。

新しいプロジェクトが順調に進行し、彼はチームの一員としての役割を果たし続けていた。同僚たちとの信頼関係が深まり、協力しながら目標に向かって努力することの重要性を学んでいた。

そして、プロジェクトが成功に終わった後、直人は上司から再び感謝の言葉と共に新たな課題を託された。それは、彼の成長と能力を信じられている証拠だった。

しかし、成功が続く一方で、彼は未来への不安も感じていた。次なるステップや新たな目標が見えてこないことに対する焦燥が、彼を時折襲っていた。

その不安を吹き飛ばすために、直人は自分自身に向き合い、自分の強みや興味を再確認する時間を取るようになった。自己分析を通じて、新たな可能性を見つけることが、彼の次なる一歩の方向性を示す手がかりになると感じていた。

そして、ある日、直人は新たな目標を見つけた。それは、より広い視野で仕事に取り組むことや、他の分野にもチャレンジすることだった。彼は自分の成長を止めず、常に前進する決意を固めた。

 

最終章: 新たな未来へ

直人は、数年前の自分とは比べ物にならないほど、成長し変化した人物となっていた。新しい職場での挑戦や成功を通じて、彼は自分の可能性を信じ、未知の世界に果敢に挑戦する勇気を身につけていた。

直人は新たな目標を設定し、そのために必要なステップを着実に進めていた。新しい分野へのチャレンジや、自己成長のための学びに取り組むことで、彼の人生はより充実したものになっていった。

同時に、直人は周囲の人々との関係を大切にし、チームワークや協力の重要性を実感していた。新たな仲間との出会いや、共に成果を上げる喜びが、彼の日々を豊かにしていた。

直人は新たな道を歩みながら、これからも挑戦と変化を恐れずに成長し続ける決意を胸に抱いていた。未知の未来が広がり、彼の新たなる冒険が始まる。

思想と矛盾とオレ

企業経営の目的とは何だろうか。

儲けるため?人のため?客のため?従業員のため?

会社によって大きく違うだろうし、どれも間違っていない。どんな理由があってもいい。

この資本主義社会においては、会社は株主のために存在するというのが一般常識である。株主に利益を分配するために、従業員を使って利益を上げる。そして経営者は株主から利益を得るのである。これが株主資本主義である。

しかし、近年潮流が変わってきた。会社とは株主だけではなく、ステークホルダー全員のために存在するという考え方である。これをステークホルダー資本主義というが、会社とは関わる人(株主、客、従業員、取引先、地域自治体、社会全体など)全員を幸せにするために、人が作り出した仕組みであるという考え方が一般的となってきている。

昨今の行き過ぎた株主第一主義から社会全体が変化してきているのである。

 

共通善という言葉をご存知だろうか。

共通善とは「社会全体にとって良いこと」という意味がある。

この共通善こそが企業の存在理由なのである。しかし、現在存在する企業が全て共通善という概念を持つ企業ばかりではない。

企業とは共通善に尽くし、世界をよりよくすることを目指す。この目的を達成するため に、全体の利益を高めるような制度や政策を示すことが企業の目的であるのにも関わらず。

 

では、共通善を実現するための企業はどのように生まれるのだろう。

良い企業は創業者の「経営哲学」から生まれる。これは単純に創業者の考える「どんな社会がいいか」というものである。無知のベールと言えばわかりやすい。

経営哲学とは無知のベールから生まれる理想の社会、つまり創業者の目的である。

 

経営哲学から繋がるのが、「経営思想」であり、これは手段とも言える。

この経営思想は主に二つに分かれる。

①利己

経営者は個人として、市場の競争環境において資源を無駄にせず価値を生み出し、雇用を生むということである。簡単に言えば、とにかく競争に勝って、儲けなければならないということ。

②利他

市場競争には欠陥があり、自制によってルールや規制を守らなければならない。つまり、人のためになること以外やってはいけないということ。

 

経営哲学から経営思想へと進み、それが企業の理念、ビジョン、そして戦略へと繋がっていく。経営哲学と経営思想は普遍的なものであり、企業の基盤となる。

しかし、利己と利他の追求を行うと必ず矛盾が生じる。

企業とは、競争に打ち勝ち続けて利益を得なければ生き残れない。もっと言えば競争に勝てない企業とは社会悪と言える。

だが、勝利だけを追い求めると利他の追求が厳かとなってしまう。

どうすれば両方を追求できるのだろうか。

 

企業は儲けなければ生き残れない。儲けることは絶対条件である。同時に顧客、従業員、取引先への貢献を同時追求しなければいけない。

この矛盾の許容こそが経営であり、二者択一は経営者には不要なのである。

経営者は儲けることが一番でありながらも、最後はステークホルダーのためになる選択を行うことができて初めて一流なのである。

 

しかし、世の中には三流の経営者が多く存在する。

お客様のため、従業員の幸せのため、社会のため、などと立派なビジョンを掲げていても、利己の追求しかできていない経営者。

口先だけは立派なことを唱えていても、周囲のステークホルダーは見抜いているだろう。

そんな企業にこの先はない。

心当たりのあるサラリーマンは自分のキャリアについて見直しましょう。

 

ただ、普遍の哲学や思想を持っていても、ステークホルダーにしっかりと伝えることができていない企業も存在する。そんな企業は自己認識を改めて、インターナルマーケティングに力を入れよう。

 

これ以上書くのがめんどくさくなってきたので、結論。

皆さんは自分の働く企業や経営者は、経営哲学や経営思想を持っているのかしっかりと見抜きましょう。

窮屈とSNSとオレ

イーロン・マスクTwitterを買収して、9人の取締役を全員解任したことが話題になっている。アメリカ的な株式会社の特徴が出ているね。

Twitterを買収して、非上場化したのはTwitter社を改革するためで、全員の取締役の解任は当然の選択か。

唯一の取締役になるということは、資金調達や規制対応などの責任は取締役会ではなく、彼1人が追うことになるわけだから、イーロン・マスクSNS改革の覚悟が伝わる。Twitterが今後どう変化していくのか楽しみ。

ていうか何社CEOやるねん。テスラ、スペースX、ニューラリンク、ボーリングカンパニーに続いてTwitterで5社目やぞ。

 

 

TwitterといえばSNSで、僕は最近のSNSはあまり好きじゃない。

楽しいキラキラした日常アピールか、リプライや引用機能を使った批判や攻撃のためのツールとして二極化している気がするから。

他人を攻撃するためにSNSを使う人は、かわいそうな人たちだから、それについては今は述べない。

多くの人は楽しい日常の共有のためにSNSを使う一方で、SNSで愚痴を投稿することは許されなくなっているらしい。「愚痴る人はフォローを外す」みたいな感じで。

 

確かに、「不満とかイライラ」の投稿より、「楽しい」っていう投稿の方が見ていて気持ちがいい。でもだからって、SNSに愚痴はあってはいけないのだろうか。

愚痴の投稿が減っているのも、「SNSにはネガティブなことは書かない。SNSは楽しい場であるべきだし、見た人の気を悪くさせるから」っていう、フォロワーへの配慮というか、思いやりみたいなのがあるからなんだろうけど。

 

でも、SNSってそんなに格調高いツールやっけ。

今のSNSはなんか窮屈な場所やなって思う。

昔はもっと気楽で適当に使えるツールだったような気がするんよね。

当たり前だけど、ネットリテラシーには気を配る必要があるし、SNSには誰かに見られて困るものは上げてはいけないよ。

 

でもSNSぐらいになら愚痴れる場があってもいいと思うんですよ。

そりゃ、愚痴はない方がいいですよ。

でもみんなさ、頑張ってるじゃん。行きたくもない仕事に行ったりさ、合わない人とでも上手く関わったりさ、思ったことを簡単に口に出せない世の中で頑張ってるじゃん。

だから、SNSで思ったことを言って、ちょっとくらい発散したっていいじゃん。

リアルな世界でも、画面の中の世界でも、どこにも自分の気持ちを表現する場所がないと辛いですよ。

 

もちろん、愚痴の相手が見れる場所で当てつけのように投稿するのはダメだし、愚痴の量とか書き方も程度問題ですから。

 

たまには、落ち込んでる気持ちや仕事の愚痴を吐き出すとかは、許容されてもいいでしょ。みんなが互いに自分自身を表現できるような場になるといいなぁと思う。

 

イーロン・マスクTwitterを「あらゆる人が自由に発言できる安全な場」、「可能な限りインクルーシブな場」にするらしいので期待ですね。

まぁ、僕はほとんどSNSをやってないんですけど。

日曜日と夕方とオレ

日曜日の過ごし方ってよくわからないよね。

次の日は月曜日で新たな週が始まるわけだから、体を休めたいとも思うし、せっかくの休みだからどこか出かけたいような気もするし。でも結局は家でダラダラしてしまうことが多い。

そして夕方とか夜ぐらいになると、ダラダラする選択をしたことを後悔し始める。

 

というか、ダラダラする選択肢しかないんだけど、その過ごし方に罪悪感や孤独を感じてしまう。

遊ぶ友達もいなければ、1人で出かける場所も気力もない。

正確に言えば、日曜日に遊ぶ友達がいないというべきか。

最後に友達と遊んだ日曜日はいつだろう。おそらく1年ぐらい前かな。

 

高校生ぐらいまでは、日曜日といえば友達と遊ぶ日だったけど、いつの間にか1人で過ごす日になってしまった。

きっかけは大学生の頃で、あの期間は自由な時間が多かったから、日曜日が特別な日ではなくなったんよね。授業の取り方によっては、早ければ2年の頃から平日に休みの日ができたりしたわけだし。わざわざ混む日曜日に遊びに出かける必要がなくて。

それに僕も周りのみんなもバイトとかで、日曜日が休日であることが少なくなったから。

だから、日曜日に誰かと会う、どこかに行くことが圧倒的に少なくなってしまった。

 

次に社会人になってからは、明日のことを考えると出かけることが億劫になってしまった。

仕事が生活の中心になっていたから、働く自分を優先する。そうすると家でゆっくりする選択肢を取ることになる。

他のみんなもそんな感じなのかな。

 

こんな考えをしてるから、遊びに行きたくなったとしても「誘ったら迷惑がられるかな」って考えてしまうし、

逆に誘われた時なんか、本当は遊びに行きたいし、誘ってもらえてめちゃくちゃ嬉しいのに「断る理由考えるのめんどくさいな」って考えてしまうこともあった。

 

今はまた学生をしているわけだけど、こういう日常が積み重なったおかげで、日曜日の過ごし方がわからない。

だから冒頭で書いたように、ダラダラする選択肢しかない。

でもせめてもの抵抗で、少しだけ散歩するようにしている。たかが散歩でも外出したことには変わりない訳だから、少し救われる。

 

僕は日没前後の1時間散歩することが好きだ。

公園で遊ぶ小学生、子どもと遊んでいるお父さん、手を繋いで歩く老夫婦、犬の散歩をしている人、部活帰りの学生、井戸端会議をするおばちゃんたち、頑張って荷物を運ぶ宅配のお兄さん。

日曜日の夕日にはいろんな人たちの特別な日常が映し出されている。明日からまた普段の日常が始まる。日曜日という特別な日常に別れを告げるような名残惜しさと共に、太陽は山の向こう側に隠れていく。

この時、自分1人だけが街に溶け込むことができていない。僕だけが幸せ溢れる日常から弾かれている。浮いた絵の具のように。

 

そして、暗くなって人が街から消えると、やっと自分の存在が許される気がする。この瞬間から街に溶け込めるようになる。

だからこの時間の散歩はやめられない。日曜日の虚無な自分が肯定される瞬間がこの日没だからだ。

虚しい自分、虚しい休日だということはわかっている。でもどう改善したらいいのだろう。

 

日曜日の過ごし方がわからない。

日曜日は嫌いだ。

察しろと動物みたいとオレ

ここ最近で、改めて思ったことは人間関係ってすごく難しい。

他人が何を考えているのか、相手が自分に対してどう感じているかわからないからだ。

しかもそれを知るためには、相手の言葉が必要になる。自分1人じゃどうしようもないよね。

だからこそ人の気持ちを推測することになるけど、的外れなことの方が多くて、ああだこうだで悩むことになる。

 

しかも私たち日本人って、面と向かって自分の言いたいことを言える人種じゃないよね。

何か不満や気に入らないことがあると、「察しろ」みたいな感じで、自分の気持ちを言葉にしない癖に態度で怒ってるとか不満を持ってるとかの表現をしてくる人が多い。

まぁ関係性とか程度にもよるんだけど、ちゃんと自分の中にある感情を伝えてくれる人は少ないかな。

 

こういう人に出会うと、「こいつ幼稚やな」とか「動物みたい」とか思ってしまう。

例えば、子どもは自分の思い通りにならないと駄々をこねるし、動物は言葉を話せないから、体で表現するしかなくて。

とにかくなんか別の生き物に見える。

 

不満を「察して」っていう態度って、相手に対して誠実じゃないよね。

人間関係でトラブルが起こった時は、少し時間を置いて冷静になったタイミングで腹割って話し合えると、大体和解できると思う。

自分の気持ちを誠実に伝えてくれれば、こっちも誠実に向き合おうとするし、場合によってはちゃんと謝ったり、事情を理解したりするし。

 

でもそこで本心を伝えてくれず、負の感情を態度で示したり、最悪な場合だと無視したり、仲間はずれにしたり、怒鳴るとか、そういう誠実じゃない態度を取られると、こっちは誠実な態度で返せないし、当然問題は解決しない。だから余計に人間関係はこじれていく。

そういう態度をとることで他者を自分の思い通りにコントロールしようとしているんだろうけど。

 

僕は態度でしか表現できない人に対して向き合おうとするのは「無駄」だと思っていて、そういう人とは関わりたくない。めんどくさいし疲れるから。

だから、その人の感情の世話をすることはない。

というか、そもそもこっちの考えることではないんよね。

そういう幼稚なコミュニケーションしか取れない人の機嫌を取る必要なんかないし、相手がこちら側に対してどう思うかは向こうの問題だから。

それに他人の気持ちを推し測るのって、すごく消耗するしね。

本当に伝えたいことがあれば伝えてくるだろうし、伝えてこないってことは放置でOK。

 

もちろん、人間が社会の中で生きていく以上は、ある程度他人のことは気にしないとダメ。そうしないと自己中人間になちゃうし。

からしっかりと線引きはしようね。

 

ごちゃごちゃになったけど、人間関係は自分の思っていることを「素直」に話すことが大切という話。

ただ、感情をそのままぶつけることは違うよ。伝え方、言い方すごく重要。

 

特定のだれかのことではなく、自分への戒めとして。