日曜日と夕方とオレ

日曜日の過ごし方ってよくわからないよね。

次の日は月曜日で新たな週が始まるわけだから、体を休めたいとも思うし、せっかくの休みだからどこか出かけたいような気もするし。でも結局は家でダラダラしてしまうことが多い。

そして夕方とか夜ぐらいになると、ダラダラする選択をしたことを後悔し始める。

 

というか、ダラダラする選択肢しかないんだけど、その過ごし方に罪悪感や孤独を感じてしまう。

遊ぶ友達もいなければ、1人で出かける場所も気力もない。

正確に言えば、日曜日に遊ぶ友達がいないというべきか。

最後に友達と遊んだ日曜日はいつだろう。おそらく1年ぐらい前かな。

 

高校生ぐらいまでは、日曜日といえば友達と遊ぶ日だったけど、いつの間にか1人で過ごす日になってしまった。

きっかけは大学生の頃で、あの期間は自由な時間が多かったから、日曜日が特別な日ではなくなったんよね。授業の取り方によっては、早ければ2年の頃から平日に休みの日ができたりしたわけだし。わざわざ混む日曜日に遊びに出かける必要がなくて。

それに僕も周りのみんなもバイトとかで、日曜日が休日であることが少なくなったから。

だから、日曜日に誰かと会う、どこかに行くことが圧倒的に少なくなってしまった。

 

次に社会人になってからは、明日のことを考えると出かけることが億劫になってしまった。

仕事が生活の中心になっていたから、働く自分を優先する。そうすると家でゆっくりする選択肢を取ることになる。

他のみんなもそんな感じなのかな。

 

こんな考えをしてるから、遊びに行きたくなったとしても「誘ったら迷惑がられるかな」って考えてしまうし、

逆に誘われた時なんか、本当は遊びに行きたいし、誘ってもらえてめちゃくちゃ嬉しいのに「断る理由考えるのめんどくさいな」って考えてしまうこともあった。

 

今はまた学生をしているわけだけど、こういう日常が積み重なったおかげで、日曜日の過ごし方がわからない。

だから冒頭で書いたように、ダラダラする選択肢しかない。

でもせめてもの抵抗で、少しだけ散歩するようにしている。たかが散歩でも外出したことには変わりない訳だから、少し救われる。

 

僕は日没前後の1時間散歩することが好きだ。

公園で遊ぶ小学生、子どもと遊んでいるお父さん、手を繋いで歩く老夫婦、犬の散歩をしている人、部活帰りの学生、井戸端会議をするおばちゃんたち、頑張って荷物を運ぶ宅配のお兄さん。

日曜日の夕日にはいろんな人たちの特別な日常が映し出されている。明日からまた普段の日常が始まる。日曜日という特別な日常に別れを告げるような名残惜しさと共に、太陽は山の向こう側に隠れていく。

この時、自分1人だけが街に溶け込むことができていない。僕だけが幸せ溢れる日常から弾かれている。浮いた絵の具のように。

 

そして、暗くなって人が街から消えると、やっと自分の存在が許される気がする。この瞬間から街に溶け込めるようになる。

だからこの時間の散歩はやめられない。日曜日の虚無な自分が肯定される瞬間がこの日没だからだ。

虚しい自分、虚しい休日だということはわかっている。でもどう改善したらいいのだろう。

 

日曜日の過ごし方がわからない。

日曜日は嫌いだ。